アイリッシュコーヒー誕生物語

「アイリッシュ・コーヒー」は、第二次世界大戦が終わって間もない1940年代後半に、アイルランドで生まれた。

生まれた場所は、アイルランド西部のシャノン空港。考案者の名前は、空港のレストラン・バーのチーフ・バーテンダー、ジョー・シェリダン。

当時、ヨーロッパの主要都市と、アメリカ東部のあいだに、民間航空機が飛び交うようになり始めていた。

そして、このアトランティック航空の利用客が、次第に増加の傾向を見せていた。しかし、当時の航空機は航空距離が短く、ロンドンやパリから、ボストンやニューヨーク目指して、ダイレクトにひとっ飛びという具合にはいかなかった。

まず、ヨーロッパ最西のアイルランド島シャノン空港に立ち寄り、そこで給油をしてから、やおらアメリカ目指して飛び立つ。そして、カナダ東端のニューファウンランド島ガンダー空港に着陸。そこで再給油してから、やっとアメリカ東海岸の都市に辿り着く、といった状況だった。

最初の給油地であるシャノン空港の滑走路は、大西洋に注ぐシャノン川の中洲にあった。給油のあいだ、乗客は飛行機から降ろされる。そして、ボートで川を渡り、空港待合室で時間を過ごさねばならなかった。

冬の川の中洲は、風と寒さが厳しい。空港待合室に入るまでに、からだは冷え切ってしまう。ある人は、トイレに駆け込んで小用を足す。ある人はバーに駆け込んで、ホット・コーヒーや酒を注文する。なかには、コーヒーにウイスキーを注文して、自分で混ぜ、からだを芯から温めようとする人も少なくない。飛行機が給油なら、乗客も給油、というわけだ。

そうした光景に接していたジョー・シェリダンは、ウイスキー入りコーヒーを同空港待合室の売り物にしようと考え 、砂糖、コーヒー、アイリッシュ・ウイスキー、生クリームでつくる「アイリッシュ・コーヒー」をメニューに加えた。

ジョー・シェリダンがこれを創案した裏には、アイルランドの伝統が潜んでいる。アイルランドは、ウイスキー発祥の地だ。そのアイルランドに紅茶が伝来したのは、16世紀のこと。紅茶が普及するにつれ、ホット・ティーに地元産ウイスキーを加えて飲む風習が、アイルランド全域に広まった。その飲み方は、「ウイスキー・イン・ティー」と呼ばれた。そのティーを、アメリカ人好みのコーヒーに代えてみよう、というのがシェリダンの最初の発想だった。

しかも、アイルランドは酪農王国である。この島特産のクリームをフロートすれば、アイリッシュ・ムードも高まり、かつなめらかな舌ざわりが飲む人に好ましい印象を与えるだろう。

こうして、ウイスキー・イン・ティーのヴァリエーションともいうべきウイスキー・イン・コーヒーの新しいスタイルが定まり、「アイリッシュ・コーヒー」という名称のもとに、空港待合室のドリンク・メニューを飾る。それを飲んだ旅行者たちに好評を博し、彼らの口コミによって、このローカリティ豊かなコーヒー・カクテルは、世界の各都市に波及していくようになった。

この飲みものの魅力に捉われた一人に、アメリカ人のジャック・ケプラーがいる。彼は、サンフランシスコ市フィッシャーマンズ・ワーフにある〈ブエナ・ヴィスタ・カフェ〉の経営者。1952年にアイルランドを訪れたさい、この飲みものを知り、早速自分の店のメニューに採用することを決めた。そして、その名称を「サンフランシスコ・コーヒー」と改称して売り出した。

さして大都市でないサンフランシスコ市において、〈ブエナ・ヴィスタ・カフェ〉は有名店として知られていた。ここで売り出した、本名アイリッシュ・コーヒーこと、ご当地名サンフランシスコ・コーヒーは、たちまち市民たちのあいだで評判となり、以後この市ではご当地名でこの飲みものを注文するのが当たり前となって、現在に至っている。

一方、本家家元の「アイリッシュ・コーヒー」に話を戻すと、その後、このアイリッシュ・コーヒーのスタイルを踏襲しながら、材料のアイリッシュ・ウイスキーを地元の特産酒に代えたカクテルが世界各地で生まれ、独自のネーミングで売られるようになっている。その代表的なものを挙げておくが、カッコ内が代替酒の名前である。

・カリビアン・コーヒー (ホワイト・ラム)

・ゲーリック・コーヒー(スコッチ)

・ジャーマン・コーヒー(キルシュワッサー)

・メキシカン・コーヒー(テキーラとカルア)

・ラシアン・コーヒー(ウォッカ)

「洋酒のうんちく百科」 福西英三著 より

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ベスパでも、アイリッシュ・コーヒーにはかなりのこだわりがあり、定番にもなってます。

お試しください。

Irish Coffee