旬、揚巻

この季節、いつも食しいと思う「揚巻(あげまき)」。有明海で捕れる貝の一種です。先月の福岡滞在中にいただきました。特殊な休みがあり、日にちや曜日の感覚がズレでた中で、季節の旬に会えて嬉しく思いました。食は力、元気に乗り切りたいものです。  

ジャマイカン・マティーニ

随分暑くなってきました。初夏を感じる「ジャマイカン・マティーニ」はいかがでしょうか!通常のジンベースやウォッカベースもよいですが、やはり暑い時期は暑い国のお酒。先日、暑い日がありましたので、菊地と勉強をしました。やはり、美味!しかし、その勉強は14時位から繰り広げられてました。勉強という名の、「昼飲み」です。 

中洲Now

中洲独特の景色です。まだ活気は全くもって戻りません。6月1日から周辺のお店も再開するみたいです。早く、気にせず存分に楽しめる状況になる事を願うばかりです。徘徊してると、、、丸源36ビル。「マルゲ」になっとる。銀座の丸源15ビルは、「ムグ」になってましたが、、、、。今、どうなっとるんやろ? 

福岡、中洲店より

本日17時より、福岡店を営業再開します。緊急事態宣言解除より10日経ちましたので、トレーニングとして再開です。まだ緩みを警戒しないといけない時期ですので、私達もキチンと対応を踏まえた営業をいたします。営業時間は24時まで。今後も何卒宜しくお願い致します。     

今一番のストレス

色んなイベント等が中止になってますが、私個人で感じてるストレス。「氷が彫れないこと」夏の全国展も中止になりました。何だかつまんない夏になりそう。。。。そんな事を思ってると、、、、そう言えば、ブログで今年の冬の作品あげとらん!汗ばむ季節になってきましたが、そんな時期に写真公開。1月の作品ですが、、、、今頃すみません!

中洲近況

福岡県の緊急事態宣言は解除となりました。しかしまだ再開の状況とは思えず、休業としております。解除とは言っても、まだ油断できない時期。さすがに出てきてないようです。福岡県としては、バーはOKと改めての発表がありました。これが早く皆さんに伝わるといいですが………。再開の準備をしつつ、様子みて、また案内致します。

スティーブ・ジョブズ

  先日、媚山マスターよりLINE。http://www.youtube.com/watch?v=o8upqqn6FQo最初に驚いたのは、マスターからYou

近未来

懐かしさを感じながら、古い映画を。公開は1985年。パートⅡが1989年。冒頭より。日本もバブル期。もう35年も前になるんですね。観てると時代が面白い。展開も早く、いい意味でバカらしくて面白い。タイムマシーンである、「デロリアン」。パートⅡでは空を飛ぶ。ふと気づく…………。時代は2015年😳今は、もう過去。研究は進めてるみたいですが、出遅れてますね😅近い未来、実現するのでしょうか。   

ピンクシボレー

先日の「ベリーニ」、「ハリーズ・バー」の話から。以下、また福西先生の本より。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イタリアでは、このヴェネツィアの「ハリーズ・バー」から20年ほど遅れて、1953年、フィレンツェにも「ハリーズ・バー」が生まれた。オープンにあたっては、やはりパリの「ハリーズ・バー」に応詔をとったという。このフィレンツェの店と、ヴェネツィアの店のあいだに、経営上の横のつながりはない。それどころか、二軒の「ハリーズ・バー」は、お互いにライバル意識が強い。それは、フィレンツェの店のオリジナル・カクテルが、「ティツィアーノ」と名付けられていることがうかがい知ることができる。レシピは、赤いグレープ・ジュースを、イタリア産の発泡酒スプマンテで割る、というかたち。ヴェネツィアの店が、イタリア北部特産の桃と、同じく北部特産のプロセッコという発泡酒を材料に使うなら、こちらはキャンティ・ワインの本場の意地を見せ、ぶどうのジュースで立ち向かおう。発泡酒ワインも、イタリアを代表するスプマンテでいこう。ネーミングのほうも、むこうが画家名でくるなら、こちらも画家名で応戦しよう。そんな魂胆が見え見えだ。ティツィアーノとは、ジョバンニ・ベリーニの弟子として育った画家ヴェチェッリ・ティツィアーノのこと。その名を付けたティツィアーノというカクテル、残念ながら、親方名を冠したベリーニほどは人気がない。ヴェネツィアのハリーズ・バーに行って、このティツィアーノを注文すると、「ああ、ベリーニのグレープ版ですね」と、ニヤリとしながらつくって出してくれる。そのニヤリのうらには、今のひと言で軽くいなしたから、まァつくって出そうか、いう姿勢のぞいて見える気がする。フィレンツェのハリーズ・バーでは、「ティツィアーノ」のバリエーションとして、さらに「レオナルド」というオリジナル・カクテルも店のメニューに加えた。これはいちごが材料。熟したいちごをブレンダーでピューレにし、それにスプマンテを加え、混ぜる、というもの。ヴェネツィア生まれの「ベリーニ」のバリエーションともいえる。カクテル名のレオナルドは、ご当地トスカナ州出身のレオナルド・ダ・ヴィンチにちなんだもの。フィレンツェで、この「レオナルド」の味を知った客が、ヴェネツィアのハリーズ・バーでこれを注文すると、バーは「ベリーニ」が売りだから、あまりおもしろくはない。でも、客の前で不快感を表情に出せないから、そこは腹でグッと押さえて、「当店では、レオナルドではなく、ロッシーニという名でお出ししていますが、それでよろしいですか?」とお伺いを立てる。ロッシーニは、ヴェネツィアから近いマルケ州ペザーロ町出身のオペラ作曲家。フィレンツェ生まれカクテル「レオナルド」を、ヴェネツィア寄りの地出身の「ロッシーニ」に名称変更をしてしまう。『読むカクテル百科』

ハリーズ・バー

ジュゼッペ・チプリアーニは、1900年に、北イタリアのヴェローナで生まれた。若い頃からウエイターの仕事に就き、各地のホテル、カフェで働いたのち、1927年、ヴェネツィアのホテル・エウローパ・ブリターニャのバーテンダーになる。1930年、そのホテルのバーに、今朝のホテルをチェック・アウトしたばかりの客が、打ちひしがれた様子で戻ってきた。彼は、アメリカの百万長者の息子で、まだ大学生。名前はハリー・ピカリング。たいへんなアルコール依存症で、今回の旅はその症状を癒やすため、伯母と執事で禁酒旅行している途中だった。ハリー・ピカリングの禁酒症状もピークを迎え、どうしてもカクテルを一杯やりたくなったので、連れの伯母の目を盗んで脱走し、このバーに戻ってきたのだという。彼は、チプリアーニのつくったドライ・マティーニを飲みながら、「折り入って頼みがあるんだけど……」と、言いづらそうに話し出した。金銭は、伯母たちが握っていて、彼は無一文だ。そして、こんな非人間的な禁酒旅行を強いられている。もう我慢ができないから、これからアメリカに一人で帰国する。ついては、このカクテル代とアメリカへの帰国旅費分として、一万リラ(アメリカドルで5000ドル)貸してくれないか?30歳のジュゼッペ・チプリアーニにとってそれは大金だったが、ハリー・ピカリングの苦悩と懇願の表情に何か心動かされるものがあり、妻の諒承を得て、ジュゼッペはハリーに一万リラを渡した。アメリカに戻ったハリーからは、しばらく便りがなかったが、翌年のある日、ジュゼッペのバーにハリーが突然訪れてきて、一万リラを返した。「どうも、ほんとうにありがとうございました。心からの感謝のしるしとして、こちらに四万リラを用意しました。あなたと私でバーを開きましょう。ハリーズ・バーというバーを」ジュゼッペは、人生何が僥倖をもたらすかわからない、と感じたに違いない。ありがたく好意を受け、水上バス停留所前の倉庫を買いとり、そこにハリーとのコラボレーションで「ハリーズ・バー」をオープンした。「読むカクテル百科」